この項目では、 リュック・ベッソン監督による映画について説明しています。C・S・ルイスによる『ナルニア国物語』の一作については「さいごの戦い」をご覧ください。
最後の戦い
Le Dernier Combat[1]
監督リュック・ベッソン[2][注 1]
脚本Pierre Jolivet
『最後の戦い』(さいごのたたかい、原題:Le Dernier Combat[注 6])は、リュック・ベッソン監督による1983年の映画作品[2]。 リュック・ベッソン監督(1959年 - )のデビュー作品[5]。ベッソン監督はパリとハリウッドで映画の助手を務めながら映画作りを学び、24歳で初めて発表した長編が本作である[5]。 白黒作品で、作中には台詞が一切ない[2][4][注 7]。これは大気汚染によって、声帯の機能を喪失して発語ができなくなっている、という設定によるもの[3][4]。 気候変動の結果、文明が荒廃した近未来が舞台[2][4]。生き残った4人の男が、1人の女をめぐって戦う[2]。 1959年生まれのリュック・ベッソンは、15歳の頃から映画に興味をもち[6]、18歳で本気で映画の道を志すことを決めた[7]。まもなく『Le Petite Siren[注 8]』という短編を8,000フランで完成させた[7][注 9]。 フランスでは、文化省の中央映画庁(CNC その後、ベッソンはパリで映画関連の職に就きながら[注 11]、短編や広告、記録映像などの製作にも係わり[10]、はじめは助手として、のちに第2助監督を任されるようになった[注 12][9][11]。 この頃ベッソンは、映画・演劇・音楽活動をしているピエール・ジョリヴェ(Pierre Jolivet 1981年には、ラファエル・デルパール監督の『Les bidasses aux grandes manoeuvres』で助監督となり、出演していたジャン・レノと知遇を得た[14]。また同じ年、TV向けのフォーミュラ2の記録映像の仕事に携わり、撮影のカルロ・ヴァリーニや編集のソフィー・シュミットと知り合った[14][15]。 この頃までに、ベッソンは自身の長編デビュー作として『サブウェイ』の構想をおおよそかためていた[14]。
概要
あらすじ
製作前夜
製作会社の創設
主要スタッフとの出会い
『最後から二番目の男』